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2024.1.16

賃貸物件の壁紙を汚してしまっても、残存価値がなければ何も支払わなくてよいのか

1 私がまだ司法試験の勉強を始める前の頃、友人が「引っ越しを考えてて、アパートの壁がヤニまみれなんだけど、もう何年も住んでいるし、クロスの価値は無くなってるだろうから退去のときに金払わなくていいよな」などと言っていたことがありました。
 当時はこれを聞いて、たしかに、という気もした反面、そんな都合良いことあるかなあとも思った記憶があります。
 この友人のように考えている人は少なくないように思えます。残存価値とか、減価償却とか、そのような言葉に明るいほど、この友人のように考えるのが自然に思えるかもしれません。
 以下では、そのような見解が正しいといえるかどうか、考えてみたいと思います。

2 民法621条では、「賃借人は、賃借物を受け取った後にこれに生じた損傷(通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化を除く。以下この条において同じ。)がある場合において、賃貸借が終了したときは、その損傷を原状に復する義務を負う。ただし、その損傷が賃借人の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。」と規定されています。
 私の友人の場合は、タバコのヤニで壁のクロスを汚していますから、この汚れが友人の責任ではない(賃借人の責めに帰することができない事由)とはいえないでしょう。そこで、この汚れが通常の使用によって生じた損耗や経年変化として原状回復義務を免れるかがまずは問題となります。
 この点、国土交通省住宅局の公表している「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(再改定版)」によれば、喫煙によるヤニ汚れは通常の使用による汚損を超えるものと判断されることが多いと考えられる(ガイドライン18頁)とのことですから、私の友人の場合は、クロスの汚れが通常の使用や経年変化によって生じたとはいえず、原状回復義務を負う可能性が高いと考えられます。
 なお、このガイドラインは法律ではありませんが、裁判例や取引の実務等を考慮したうえで取りまとめられたものであり、原状回復をめぐるトラブルを考えるにあたっては参考になります。

3 では、原状回復義務を負うとして、いくら払う必要があるのということになるかと思います。
 ここで、多くの人は、クロス代を払えばいいんじゃないかという発想になるかと思います。
そして私の友人のように何年も同じ物件に住んでいれば、汚してしまったクロスにはそもそも価値がないんじゃないのと考えるのではないでしょうか。
 先ほどのガイドラインは、「賃借人の負担については、建物や設備等の経過年数を考慮し、年数が多いほど負担割合を減少させることとするのが適当である」とした上で、経過年数による減価割合については法人税法の減価償却の考え方を採用しています(ガイドライン12頁)。クロスは6年で残存価値が1円になりますから、6年以上住んでいれば、ガイドライン的には1円だけ払えばよい気もします。もしそうだとすると、実際に1円だけ請求されるということはないでしょうから、事実上何も支払わなくてよいということになります。

4 しかし、ガイドラインにはこのようにも書かれています。
「なお、経過年数を超えた設備等を含む賃借物件であっても、賃借人は善良な管理者として注意を払って使用する義務を負っていることは言うまでもなく、そのため、経過年数を超えた設備等であっても、修繕等の工事に伴う負担が必要となることがあり得ることを賃借人は留意する必要がある。具体的には、経過年数を超えた設備等であっても、継続して賃貸住宅の設備等として使用可能な場合があり、このような場合に賃借人が故意・過失により設備等を破損し、使用不能としてしまった場合には、賃貸住宅の設備等として本来機能していた状態まで戻す、例えば、賃借人がクロスに故意に行った落書きを消すための費用(工事費や人件費等)などについては、賃借人の負担となることがあるものである。」(ガイドライン12頁)
 たしかに、減価償却的にはクロスの価値がほぼ0ということと、そのようなクロスが引き続き使用可能かとは別の話であり、大家さんとしては、タバコのヤニ汚れがなければ、クロスを変えずに次の人に貸せたのに……となる可能性があります。そのような場合に、本来なら必要がなかったはずなのに、賃借人のせいで生じてしまった工事代等まで大家さんが支払わなければいけないというのは不公平だという発想だと思われます。

5 以上からすれば、クロスの残存価値が1円なら、ヤニで壁を茶色にしたり、落書きしたりしても原状回復費用は1円だ!とは必ずしもならないということになるでしょう。